ゲーム(RPG論)

最近ゲームはRPGばっかやってて(しかもまだ終わってない)食傷気味なトコロに「MOTHER3」が出てしまってもう食べられないよォ〜(by満プク刑事)状態です。まぁソフトは買いましたが…通勤時の電車内でやろーかな。
振り返れば「MOTHER」MOTHER2」のミソは敵を倒して持っていたお金を奪い取るのではなく、敵を倒した分だけ父親から銀行口座に「がんばったおこずかい」として振り込まれるという所で。あのシステムだけでドラクエその他のRPGをヒネったというか皮肉った感じがしてとても新鮮だった…というかそもそもドラクエの場合敵を倒して金奪い取る行為は兎も角として、あの世界での銀行システムってどーなってるのだ?ルーラで別の街に行ってもちゃんと預金額は同じ…ってまさかオンラインじゃないだろうし。支店間で通帳残高を魔法で伝え合ってるとか??あ、銀行でだけ記帳可能な魔法の通帳があるのか〜(ってなんでフォロー案とかコッチで考えてるんだろう…)


まぁRPGのご都合主義を語りだすとキリがないのだけれど、ダンジョン奥に何故か回復ポイントがあったりして「あ〜この扉の奥にボスがいるんだな」と悟ってしまったり、ラスダン入口に何故か「万能なんでも屋」みたいなお店があって「いざ最終決戦」という盛り上がりの脇で不足してるアイテムの調達を示唆されたり、といった『快適なゲーム進行のため親切な制作者が設定したウソ』に気付くたびに「冒険してるキャラ」から「ゲームしてる自分」に意識が戻ってしまうのはどーにかならんかと思う。まぁテーブルトーク時代から黙認される「ゲーム進行をスムーズにするためには何らかのウソが必要」というRPGの様式だと思えば確かにしょーがないのだけれども。


あと最近のRPGは「本当の死」とは「イベントとして設定された死」のみで、フツーの戦闘でヤラレた時はあくまで「気絶」とか「戦闘不能」とかそんな感じになってるのもどーなのよ、とか。多分ドラクエはじめ昔のRPGにおける「何回死んでも(リスクを負えば)教会や魔法で生き返る」という救済機能=「じゃあラスボスもその気になったら生き返るんとちゃうんかい」という矛盾をゴマカす為だとは思うんだけど、だとしたら「戦闘でトドメさされて死ぬ(=ゲームオーバーになる)のはパーティ全員戦闘不能になった時だけ」ってのもちょっとオカシイのでは?人間・モンスター問わずフツー急所を狙うハズなので、気絶や戦闘不能では済まない場合も絶対にありうると思うのだが…


※ちなみに別にいつも↑こーいう事ばかり考えて悶々ゲームしてるワケではなく、あくまで「ふと我に返った時」に考えるハナシですよ